みんつの詳しいプロフィール

みんつのプロフィール

はじめまして、みんつ(@mintz)です。わざわざプロフィールを拝見いただき、ありがとうございます。できるだけ詳しく書きますので、このブログはどういう人が書いているか少しでもご理解いただけると嬉しいです。

幼年期(~幼稚園)
茨城出身の公務員の息子と、明治時代から続く水引職人の娘の長男として、東京で生まれる。教育熱心だった母の意向で、私立の幼稚園に入園。以後、大学卒業までの19年間を過ごす。幼稚園は車で1時間近くかけて通園していたためか、いつもギリギリに登園していて積み木などで遊んだ記憶がほとんど無い。また私立だったこともあり近所に友達がほとんどおらず幼稚園以外の友達ができなかった。

5才の時から幼稚園の授業でピアノを習い始めた。いつも辞めたくて仕方なかったがずっと続けていると辞めるのがもったえなくて、小学校6年生まで8年間習い続けた。しかし演奏会だけは別で、練習は嫌だったが演奏会を学校で告知して友達を呼んだりするのは好きだった。特に小学5年生の時、演奏会でショパンの前奏曲集 第15番「雨だれ」を演奏して、評判が良かったときは嬉しかった。結局ピアノは続かなかったがクラシックという括りで私の人生に関わりを持っていくことになる。

5歳の冬に父方の祖父が亡くなり、都内にある父の実家に引っ越し祖父母を含めた生活がはじまる。小学校は幼稚園と同じ学校が運営するところに入学した(多くの友達が進学するので自分も進学するのがあたりまえだと思っていた)。しかし父親は考え方の違いから反対で別の学校を勧められ、嫌々受験した。しかし面接で「なぜこの学校に入りたいと思ったか」と聞かれ「親から受験しなさい」と答えたためか見事に落ちた。

少年期(小学生〜中学生)
入学した初日はよく覚えている。登校すると黒板に自分の名前が書いてあり、登校した順に名前を丸で囲んだ。なので少なくとも自分の名前は読めていたと思う。学校までは電車で通学していたが、1年生の時に一度だけ電車から降りられず、遅刻した事がある。自分としては冷静に降りるべき駅まで戻って40分ほど遅れて学校に向かったが、連絡しなかったため大騒ぎだった。

小学2年生の時、学校で飼っていたうさぎが8匹の子供を産み、じゃんけんの結果、見事7番目の子ウサギを貰うける。親が「みっつ」だったので「みんつ」と名付け、この子うさぎをかわいがった。例えば年賀状は毎年うさぎの写真、毎年末の文集はうさぎとの思い出と、うさぎとの出来事ばかりを書くようになった。このブログの名前もこのうさぎからきている。しかし小学校5年生の時に骨折して亡くなった。悲しすぎて泣いたのは言うまでもない(今思うと餌などの知識についてしっかり学んでおけばよかったと思う)。それから何度もうさぎなどの動物を飼おうと思うのだが、亡くなる悲しさが忘れられず飼うには至っていない。

学校から家までの帰り道が同じ男友達が3人いた。正確にはもっといたのだが30分以上かけて通っていた私ん含めた4人で行動していた。その中でも私は一番遠くて、毎日3回乗り換えて通学していた。当時は電車の乗り換え時間が長いものでは15分あり、途中の駅で降りては「暇つぶし」と称してデパートの中で遊んだり、本屋で立ち読みなどをしていた。小学校でも相変わらず近所に友達がいなかったので、この4人のいずれかの家に行って遊んだことが思い出である。といっても一年に一度くらいだったと思う。ある時私の家に遊びに来たことがあった。当時BB弾の銃が流行っていて、4人とも持ち歩いていた。近所の公園で遊ぼうという話になり、なぜかお土産のクッキーを公園の椅子の上に置いて遊んでいたところ、クッキーが割られていた。そこで犯人捜しをすることになり、団地をくまなく歩いた。そうしたところ友達が家の中からこっちを見ている犯人を見つけ、その子の親と話して、お詫びにお菓子をもらった。それ以降、4人で会うとだいたいこの話になるのだが、当時の私は状況を理解せずについて行っただけなので、今でも本当だったのか理解していない。友達が来ない日、つまりほとんどの休日は家から出ずテレビを見たりレゴばかりしていた。

運動は好きだったが、学校であった50メートル走のタイムが伸びず、そのうち苦手になり嫌いになってしまった。ただし休み時間のサッカーは好きで、下手なりにやっていた。1年に1回、上級生との試合がありいつも楽しみにしていた。前日にみんなで役割を決めるのだが、攻撃でも守備でも目立ちたくて、いつもMFを希望していた。もちろん、ほとんど活躍できなかった。結局、サッカーはいろいろな形でトライするがする方ではなく、見る方で関わりを持つようになる。

小学生の6年間は学研の「学習」という雑誌を購読しており、毎月楽しみにしていた(「科学」という雑誌もあったが遊び的要素が多すぎるという母の意向もあり「学習」になった)。毎号ふろくがついており、それを組み立てたりするのが楽しかった。小学校4年生の時、川中島の戦いをモチーフにした絵巻物が付録としてついており、初めて戦国時代があることを知り衝撃を受け武田信玄のファンになる。以後、山梨への日帰り旅行や大河ドラマの見学など歴史にのめり込むきっかけとなった。今でも歴史は大好きで高校生までは日本史だったが、大人になってからは三国志や世界の歴史全般に興味を持つようになり、史跡巡りが趣味の一つとなった。

中学生も同じ学校内で入学試験を受け、進学した。しかし小学校進学時、同級生がほとんど変わらなかった時と違い、中学はクラスの半分は外部出身者だった。ここでこの学校の特徴を説明しておきたいと思う。幼稚園から大学まですべて1学年1クラス、中高は男女別学で男子は全員丸坊主が「規則」だった。1年生は全員、学校の近くにある寮での生活が義務づけられており、中学1年生から高校3年生までが住んでいた(地方出身者は6年間寮生活)。メディアは新聞とラジオのみで1年生はラジカセなどの電化製品禁止だった。基本的に平日100円以上は持ってはならず、外出も禁止。通院する場合は、朝全員の前で報告しなければならなかった。毎日朝5時半に起床し、朝食はあらかじめ決まったメニューを生徒が作った。就寝時間は9時半(高校生は10時半)で、寝坊すると翌朝の起床前に池の水をかぶることになっていた。

また1年生は夏の登山や秋の運動会に向けた体力作りのため、勉強時間が終わる8時45分から就寝までの9時半まで、めいいっぱい腕立て伏せやマラソンなどの体力作りをやらされた。小学校の時に家の中で遊んでいた私にとってはかなり苦痛の毎日であったが、家に帰りたいと思う気持ちは不思議と無かった。ただしゴールデンウィークはかなり待ち遠しかったのを覚えている。結局この体力作りのおかげか無事に登山はできたが、更に運動嫌いになり高校生では仮病を理由にほとんど運動をしなくなった。結局社会人になってから運動の重要性に気づき現在のランニングに繋がることになる。

部活はテニス部だったが、運動嫌いからすぐに幽霊部員になった。その代わり熱中したいたのはゲームだった。もともとゲームは好きだったが、母親の意向でファミコンは買えなかった。しかし中学受験で受かったらスーパーファミコンを買ってもらえる約束を取り付け合格し、スーパーファミコンを買って貰った。1年生は寮生活だったので休みの日に帰ってやる程度だったが、2年生からは通学生になり毎日やるようになった。ゲームは大学を出るまではまり続け、中高時代には放課後、ゲームセンターに入り浸るようになった。しかし学生時代にゲームをやり過ぎたせいか、社会人になってからはあまり興味を持たなくなった。しかしほとんど勉強せずゲームばかりして遊んでいたので成績は常に悪かった。特に英語と数学が苦手で、克服できずに卒業した。特に英語はその後の人生の選択肢を狭める結果になった。

青年期(高校生〜大学生)
高校時代も相変わらずゲームばかりしていたが、ゲームの話をしていた友達が別の高校に行ってしまったため中学時代ほどではなくなり、興味の対象が音楽になる。当時、世間的に流行っている音楽はダサいという考え方があり、最初は渋谷系から音楽の世界に入ったが、香港映画に感化されアジアミュージック経由で最終的には韓国ミュージックに落ち着いた。そこでハングルを習っていた友達と一緒にハングルを独学で勉強し、高校二年の冬に韓国に旅行、全校の前で韓国ミュージックを紹介するに至った。韓国ブームは高校を卒業するまで続き、今でもハングルを読んだり簡単な挨拶くらいはできる。

中高時代はアルバイトは禁止だったが、小遣いだけでは遊び足りないので稼ぐことを考えていた。最初に考えたビジネスは、スパイクの転売だった。中学1年の時にサッカー部員から、不要になったスパイクを無料で回収し、汚れを落とし紐を新調して販売した。初めて売った時は本当に売れるのかドキドキした。これが最初のビジネスだった(今思えば仕入れコストが無く、粗利率の高いビジネスモデルだったが、仕入れ先と販売先が限られていたことが問題だった)。それから今ある物に何か付加価値をつけて販売することが私は得意であることを知った。

高校生1年の春、学校の学級委員をしていた関係で寮に住んでいた。その頃、友達がワープロ(NECの文豪シリーズ)を購入したので、触らせてもらっていた。特にワープロに付属していたキーボードの早打ちゲームが面白くて、友達と早さを競っていた。また家でもワープロを買ったので、年賀状の宛先を作ったりしていた。自分が作った文章が保存できて、その場で印刷できることは画期的だった。高校2年生の授業でVisual Basicの授業で簡単なゲームを作ったのだが、この時初めてプログラミングを学んだが、言語が英語という時点で拒否反応が出て興味がなかった。

高校3年生の時、別の友達がパソコン(シャープのメビウス)を買い、いろいろ遊ばせてもらった。特にはまったのはウォークラフトというリアルタイムストラテジーゲームで面白かった。また続編のスタークラフトやAGE of EMPIRES IIIなどにはまっていく。ただ中高時代にゲームに浸かりすぎたせいか、それ以外はやらなかった。同じ年の夏、世間の学生は受験勉強に勤しんでいる頃、八ヶ岳の山小屋に泊まり込みのアルバイトをした。山小屋のバイトは学校ではやっていたアルバイトだからファーストチョイスだった。近所のコンビニでのアルバイトも探したが、深夜だけだけで、親に反対されて断念した覚えがある。ただ腹の中では山小屋一択だった。山小屋といっても温泉がありオーナーの意向もあってサラダも食べられる珍しい宿だった。(同時期に別の小屋でバイトをしていた友達は風呂なしだった)とはいえ朝は5時半、夜は9時に就寝する生活だったが、寮でそのような暮らしをしていたため、すんなり馴染めた。しかし基本は肉体労働なので体を動かすことが好きではないので、暇があれば寝ていたし早く下山したいと思っていた。唯一の楽しみは温泉でオーナーの子供と仲良くなり一緒に入ったり、入浴後ヘアスタイルを整えてあげたりしていた。アルバイトが終わり九月になり、子供からまた遊びにこない?と手紙がきた。久しぶりに会いたい感情はあったもののこれ以上山に関わりたくないという思いから返事も出さずに行かなかったことに今ではとても後悔している。いつかまた訪れたい場所の一つである。結局、この山のアルバイトは何故か兄弟に引き継がれて行く。

もう一つ山小屋で思いで深いのは、アルバイトの話である。アルバイトは高校一年生から山好きのおじいさんまで多種多様だったが、同年代が多かった。休憩中に何故ここにきたのかなどを話していた時に高校三年なのに受験勉強しなくて良いのかと不思議がられた。そこで世間の高校生は受験勉強をしていることを知った。今になって思えばある程度隔離された場所でアルバイトしてベストではないが、ベターな選択だったと思う。勉強といってもターゲットにしていた学校もなかったし、復習をするにしても全く理解していなかったからいたずらに時を刻むだけだったと思う。夏が終わったあと、中学一年生以来欲しかったコンポを目当てに、稼いだお金を握りしめて家電量販店の前に立っていた。

高校を無事に卒業し、ほぼ0点ながらも(出題ミスで全員な10点もらえた)同じ学校の大学生となった。同級生の中に、卒業してから働き出すものが現れ徐々に近づく社会の足あとを感じはじめた。大学に入って最初にしたことは髪を伸ばすことだった。当時、長髪が流行っていたこともあるが中高時代、坊主頭は抑圧の象徴でありそこから解放されたかった。一年くらい美容院に行かず、人生ではじめて肩まで髪を伸ばした。そして似合わないことを知った。その後、いろいろな髪型、色に挑戦するものの、見比べた結果、短めに落ち着いている。似合う髪型を見つけたのは20代後半だった。
大学に入ってアルバイトは自由にできたが夏前にアルバイトをした記憶がない。夏休みに入る直前、新聞の折込をみて、子供の頃から毎年通って馴染みのあるプールの監視員を募集していたので、なぜか市役所まで行って面接をうけた。暇だったので、週5くらいでフルタイム入った。アルバイトといえども厳しいところで、溺れていた人がいたらすぐ助けられるよう、椅子に深く腰掛けることは許されず常に中腰で監視していた。結局四年間やったが、目の前で溺れたのは一回しかなかった。アルバイトを通じて世間と交わりを持ちいろいろな意味で刺激的だった。お酒は飲めずタバコ嫌いだったので飲み会にはほとんど参加しなかったが、最終日が終わったあとの健康ランドでの慰労会は楽しみだった。終わったあと車に乗せてもらい、健康ランドまで移動し、健康ランドのユニフォームに着替えて朝まで飲むのである。お風呂に入って騒いだり、ゲームをして楽しむのである。翌日は決まって最寄りにあるファミレスに繰り出し、朝食を食べるのがご馳走だった。また一ヶ月後には地元の飲み屋でパーティがあり男子はスーツで、女子はドレスで参加するのである。またこれがお見合いパーティみたいで楽しかった。結局、監視員のアルバイトは大学4年間続けることになる。
coming soon…

ランニング履歴
2012年10月14日(日) スポニチフィットラン(10キロ): 1時間51秒
2012年12月1日(日)第14回 東京マスターズロード選手権(ハーフ): 2時間22分09秒
2013年2月24日(日)東京マラソン2013(フル): 06時間9分48秒
パソコン履歴
バイオノート505(SONY)
バイオSR(SONY)
バイオHS(SONY)
mac(Apple)
ThinkPad T61(Lenovo)
dynabook UX/23JBR(TOSHIBA)
G550 2958FBJ(Lenovo)

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公開日:
最終更新日:2014/06/11

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